別小江神社(わけおえじんじゃ)という神社が愛知県名古屋市にあります
こちらの御祭神は神功皇后(じんぐうこうごう)でその神功皇后の神話にまつわる伝説が残されています
今回は旅する猫もなちゃんと別小江神社をお散歩しながら神功皇后がどういう方だったのか…そして別小江神社に伝わる神功皇后の伝説とはなにかわかりやすく解説していきたいと思います
ヤマトタケルの息子の嫁
西暦でいうと約370年の頃のお話(諸説あり)
ヤマトタケルの子供である仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と
奥様である神功皇后が
今の福岡県の香椎宮で数年に一度の神のお告げを聞く為に琴を弾いていた時の話です
琴を鳴らし神様を呼ぶ儀式を行うと神功皇后に神様が宿り、皇后の体を借りてこう告げました
西の地に見たこともない宝が眠っている
その宝を全てお主に与えよう
このお告げを仲哀天皇は信じませんでした
仲哀天皇本人はおろか誰も日本の西に陸地を見たことがないからです
見えるのは一面に広がる大海原だけなのです
そのような話を信じる事が出来ない仲哀天皇に神は怒り、仲哀天皇が謎の急死をします
日本のジャンヌダルク・神功皇后
神功皇后は神のお告げを疑ったから天罰が下されたと思い、もう一度神様のお告げを聞く事にしました
住吉三神という三体の神が現れ
「西の国を治めれば神功皇后が身篭っている男の子がこの国を背負うであろう」とお告げを頂きました
更に神様はこうも言いました
「私を船に祀り、真木の灰(清めた灰)を瓢箪(ひょうたん)にいれ木の葉の皿と箸を大海に浮かべなさい」
神功皇后は男性の格好に変装し
全国から強い者を集め
住吉三神を祀った船に乗り込んで西へと向かいました
神様に言われた通りに海に木の葉の皿と箸を浮かべると不思議なことが起こります
魚達が船団の周りを泳ぎ始め波を起こし風が追い風となって順調に船を進めてくれました
あっという間に朝鮮半島である新羅(しらぎ)へ到着すると新羅の国を服従させます
その勢いのまま百済(くだら)、伽耶(かや)も服属させました
このことを後に三韓征伐と言います
神功皇后のお腹の子はすでにいつ産まれてもおかしくない状況だったのですが日本に帰るまでは産んではいけないと月延石(つきのべいし)や鎮懐石(ちんかいせき)をお腹に巻き付け、石におまじないをかけて出産を遅らせました。
そして神功皇后は帰国後に誉田別命(ほむたわけのみこと)を無事出産しました
その後誉田別命がこの日本を統治するのです
祀られていている神社
神功皇后は宗像大社をはじめ数多くの神社の御祭神として祀られ安産祈願や子育てのご利益があるとされています
そして神功皇后にお告げをした住吉三神は
大漁祈願や航海安全のご利益があるとされ、住吉大社及び全国に600社あると言われている住吉神社などで祀られています
そして産まれてきた誉田別命は宇佐神宮や全国で最も多い44000社で祀られる八幡宮(八幡社、八幡神社)などで祀られています
別小江神社の言い伝え
ここ別小江神社の言い伝えでは
神功皇后に厚い信頼をされていた建稲種命(たけいなだねのみこと)が赤ちゃんを包んでいた布と二つ目の石を貰って尾張の国の安井という地に持ち帰りいただいたものを祀ったと言われています
そしてその地に神功皇后と誉田別命を祭神とする別小江神社が誕生したというお話です
名古屋のアートスポット
そして今、神社離れやお寺離れと言われている世の中でこちらの神社では新しい風を起こしています
御朱印や御朱印帳はアート御朱印やアート御朱印帳と呼ばれ様々な絵や切り絵の御朱印など工夫を施した御朱印が大人気で県外からも多く訪れ朝から列になるほどの賑わいを見せています
そして境内も季節ごとに色々と装飾や飾り付けをして若い年代からお年寄りまで幅広い層に人気な場所となっています
旅する猫のもなちゃんが別小江神社をお散歩している動画があります!
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