今回訪れたのは愛知県愛西市にある古木江城です
マイナーなお城ですが
実は歴史に深く関わりを持つお城なんです
![古木江城跡](https://tabisuruneko.com/wp-content/uploads/2021/07/4AFBB939-5AA6-4CC9-9E3B-3ED1059266AB-300x169.jpeg)
古木江城跡
大家族の織田家
建てたのは
織田信興といって
あの織田信長の弟になります
実は織田信長には兄弟が25人居るんです
その中の三男坊が織田信長になります
織田信長は長男じゃないんです。
そして信興は七男だと言われています(この当時は今でいう一夫多妻制なので年代が曖昧です)
そしてうつけと言われてきた
チンピラやヤンキーのような扱いだった信長に早い段階から慕ってたのが信興だったようです。
織田信長の信頼も厚くお城を建てた場所も
織田信長含め兄弟達が幼少期から青年期まで慣れ親しんだ織田家の本拠地である清洲城の目と鼻の先だったのです。
![森川花はす田](https://tabisuruneko.com/wp-content/uploads/2021/07/37BEE8B9-FDAF-4CEB-9E02-2B333E345D3C-300x169.jpeg)
城跡は現在、東海最大級のハス田
今ではお城も無く
お城を建てる時にお城を守ってくれるようにと同時に神社も建てるのですが、
残っているのはお城の隅にあったであろう守護の為の神社だけです。
ただその神社の広さから考えてもお城は相当大きかったということが考えられます。
![富岡神社](https://tabisuruneko.com/wp-content/uploads/2021/07/B7C2ED14-738D-45AD-9893-AC6FA4731D01-300x169.jpeg)
古木江城守護で建てられた富岡神社
古木江城と一向一揆
第一次信長包囲網の犠牲者
信長包囲網という四方八方の名だたる大名が織田信長を敵として扱います
そして本願寺顕如という大阪で権力があったお寺の僧侶が三重県の長島にも反信長の檄文を書いた事により
長島にて一向一揆衆が集まります
一向一揆衆が長島城を奪い本拠地とした後
次の被害となったのは
右隣にある古木江城を守る織田信興と
左隣にある桑名城を守る後の織田四天王の滝川一益でした。
古木江城は6日間粘りますが落城。
「一揆勢ごときの手で斬られるのは無念だ」
と自害します。
桑名城を守る滝川一益も負けますが逃げ延びます
一報を聞いた織田信長は
織田信興の死を
悲しみ
怒り
その後5万人で殲滅を試みますが失敗に終わります。
更に翌年8万人の勢力で殲滅を試みますがまたしても失敗。
そして総動員で挑んだ3回目の殲滅戦は
織田信長自ら指揮し全勢力を動員します
古木江城に織田信長自らの部隊で制圧し、
本陣とします。
そして長島一向一揆を全滅としました。
女性や子供も含めて総勢3万人とも言われる一向一揆衆がほぼ長島の地にて眠ったのです
織田信長が人々から第六天魔王と呼ばれる大きな原因の一つとなったのもこの戦なのです。
![古木江城跡](https://tabisuruneko.com/wp-content/uploads/2021/07/E7A69B63-036D-43F2-BA21-3190451C39FF-300x169.jpeg)
神社で休憩するもなちゃん
現在の古木江城
そしてその後古木江城は廃城となり
城の敷地は今では
東海最大級のハス田
森川花はす田として観光スポットとなっています
![森川花ハス田](https://tabisuruneko.com/wp-content/uploads/2021/07/19CFA6BB-34A4-4251-A1C8-6FACA61AE75B-300x169.jpeg)
大きなハスの葉
レンコンの産地ということもあり
それはそれは大きなハスが満開となって
皆様に笑顔と感動を与えています
![森川花ハス田](https://tabisuruneko.com/wp-content/uploads/2021/07/CF62309C-9A2B-4481-AD59-12650CFB59C9-300x169.jpeg)
満開の花
↑もなちゃんが古木江城とハス田を散歩している動画がこちら↑
コメント