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丹羽さんと岩崎城

岩崎城 愛知
岩崎城

今回、旅猫もなちゃんのお散歩は岩崎城へ行ってきました

綺麗なお城で迷路のような道を抜けて

姿を現したのはとても綺麗な天守でした♪

岩崎城

堀を越えて姿を見せた岩崎城

そんな岩崎城の歴史についてもなちゃんとお散歩しながら学んで行きましょう♪

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岩崎城

愛知県日進市に岩崎城というお城があります

ここは元々は織田信長の父親である織田信秀が建てたと言われているが定かではありません

築城当初尾張国と呼ばれている

今の愛知県西部(今の名古屋市など)と

三河国と呼ばれている

愛知県東部(今の岡崎市など)の

間にあるこのお城を取り囲むように戦をしていて

領土が尾張の地から三河国(松平)の領土になっていた事がありました

徳川家康の祖父である松平清康が暗殺されたことにより

勢力の見直しの為に岩崎城を手放し

徒歩10分程の場所にあった本郷城の城主である丹羽氏清が移り住む事になり、そこから丹羽氏4代が廃城となるまで岩崎城城主として守ることとなる。

堀の道

堀の道

2人の丹羽氏

丹羽氏とは

織田信長の家臣で丹羽といえば

少し歴史をかじった人は

丹羽長秀という人物を連想するかと思います

実は苗字が一緒の違う丹羽さんが居たのです

同じクラスに全然他人ですが佐藤さんが2人いる感覚ですね。

そんな丹羽長秀じゃ無い方の丹羽さんとこの岩崎城の歴史を解説していきたいと思います♪

道

岩崎城へ続く道

信長を撃破する[じゃない方]の丹羽さん

1551年丹羽の分家による謀反が起こります

当時岩崎城の城主、丹羽氏識(にわうじさと)の従姉妹である丹羽氏秀が徒歩20分の場所にある藤島城から挙兵し攻撃を仕掛けます

岩崎城は尾張国と三河国の重要な街道になっていて栄えていた場所であったため乗っ取るつもりで攻撃したと言われています

しかも敵方には援軍で大うつけと言われた今で言うヤンキーやチンピラとも取れる当時17歳の織田信長も援軍としてついていたのです。

1番ヤンチャな年齢の織田信長の戦は

なんと岩崎城主の丹羽氏清が織田信長達を撃破して藤島城を吸収する事となる。

そう織田信長はじゃない方の丹羽さんに負けているのです

織田信長はこの負け戦により丹羽氏に強い信頼を置くようになる

織田信秀が亡くなり信秀の弟である織田信次の家臣となる

岩崎城では丹羽氏識の息子丹羽氏勝が家督を継ぎ

織田信長の家臣となって

共に天下取りの手助けをします。

信長も信頼に身を寄せていた為丹羽氏勝のもとに妹を嫁がせ更に仲の良い関係を築くことになる

あの事件が起こるまでは…

岩崎城

尾張と三河の重要拠点

古参が次々と追放

その後色々な戦を重ねて天下に最も近い男となった織田信長

そんな織田軍に激震が走ります

有名な追放劇

1580年織田信長は

今までずっと付き従っていた

佐久間信盛一家を追放します。

19ヶ条の折檻状と言われる簡単に言うと文句19個並べた手紙です

更にその後に

筆頭家老の林秀貞(長老様)

美濃三人衆と呼ばれた安藤守就

そしてじゃない方の丹羽氏勝さんが追放とされます。

長いこと付き従っていたが戦力として不十分な活躍の人員を適当に理由をつけてどんどん削減したというのが有力情報だが真相は未だ不明です

丹羽氏勝が言われた理由とは…

遡ること数ヶ月前

織田信長が育てた鷹を使って獲物を獲る鷹狩りに向かう道中に道の整備をしていた丹羽氏勝の家臣が大きな石を織田信長の近くに落としてしまった事件があったのです

信長は激怒してその場で氏勝の家臣を斬殺し、

そのことを数ヶ月後

謀反の疑いあり!(わしを殺そうとしやがって!)と言う理由にして追放したのです。

土橋

土橋跡

小牧・長久手の戦い

丹羽氏勝は追放されましたが息子達は追放されなかった為

丹羽氏次が岩崎城主となります。

信長の死後、徳川家康に従い

小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉方と争うこととなる

これが岩崎城が1番の戦場となった戦なのです

丹羽氏次(35)は徳川家康と共に小牧に出陣していた為お城の守りを弟の丹羽氏重(16)に任せていた。

敵方の奇襲隊に配備されていた豊臣方の池田恒興7000の部隊が

徳川家康の本拠地である岡崎城へ向かう道中

岩崎城の前を通過していた時のことでした

岩崎城には目もくれずに、小城に構わず行くぞと奇襲作戦を実行するべく早く岡崎城へ向かおうと軍を進めていた時予想外の出来事が起こる

岩崎城

小城として扱われた

突如丹羽氏重軍約300の部隊が突撃してきたのです

7000の部隊にまさか攻めてくるとは思ってなかったのか

池田恒興は苦戦し

そのおかげで奇襲作戦は失敗。

岩崎城の兵及び丹羽氏重は全滅してしまったが岡崎城を守ったことが

徳川家康が後にこの小牧長久手の戦いで

丹羽氏重が戦ってくれなかったらこの戦いは悲惨な事になっていたかもしれないと褒め称えるのである

その功績から丹羽氏次に1万石の所領を与える

岩崎城

氏重が命懸けで守った

戦国大名・丹羽氏次誕生

戦国大名と呼べるのは1万石以上と言われていたので

これで丹羽氏も戦国大名の仲間入りとなれた瞬間だったのです

その後は関ヶ原の戦いで物資運搬の役目などを果たし、戦いが終わった後

丹羽氏次は今の豊田市に引っ越しをして岩崎城は役目を終えて廃城となるのです。

岩崎城

もなちゃんと岩崎城

ここの地形がずっと残っていた為

1987年に新・岩崎城が築城されました。

もなちゃんと素敵なお城の組み合わせが凄いいい感じです♪♪

 

もなちゃんが○○をお散歩している動画もあります

 

 

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